オープンテラスの一角に私はいた。
大きめのサングラスの所為で顔がほとんど隠れている。小一時間前に頼んだコーヒーはすっかり冷めているが、私はそれをちびちびと口に含んでは顔を歪ませていた。コーヒーは苦いから嫌いだ。私は昔から紅茶党だったのだ。なのに、私は毎日のようにコーヒーを飲んでいる。それはあの日から、私の人生が大きく変わってしまった日から。もう昔のことなどぼんやりとしか思い出せない。本当に紅茶が好きだったのかさえ分からない。ただ、私が私を失ってから私のことを教えてくれたあの人の言葉を信じるしか残されてなかったのだから。
「…BK201」
「李舜生」
呟いた声を掻き消すように彼は名を告げる。目の前に座ると彼はウェイトレスにありえない量を注文していた。ウェイトレスはその量に顔を引き攣らせながらも奥へ引っ込んだ。
「ねぇ、ここ定職屋じゃないのよ?」
「知ってる」
思い通りの返事が返ってくることなど期待していないけれど、そっけない返事に溜息を零す。
「内容は?」
首を傾げて彼の手を取る。傍から見れば恋人同士の逢瀬に見えるだろう。しかし二人の雰囲気に甘いものなどなく、まるで別れ話でもしているかのように互いに固い表情をしている。先ほど彼が注文した品をテーブルに持ってきたウェイトレスはその雰囲気に目を丸くし、しばらく二人を凝視していたほどだ。
彼から手を離して、目を瞑る。知りたくないほどに、鮮明な真実。
「じゃあ」
残っていたコーヒーを一気に飲むと、咽て少しだけ咳き込んだ。テーブルに置いてある伝票を取ってレジへ向かう。彼はそのまま残って大量に注文したケーキを食べている。
ちらと一瞥すると私のことなどまるで気にするでもなく黙々と食べている彼に少しだけ、溜息を。




「ね、ジャン ルイは?」
猫撫で声を出して絡みつく腕の先に居るジャンを見上げる。ジャンは契約者にしては珍しい微笑みを返して、私の髪を撫でる。けれど流れ込んでくる記憶は止められない。
「ジャン…?これからどうするの?」
私の問いに意味があることなど気が付いていない彼。あぁ、男ってどうしてこうも馬鹿なんだろう。口付けを交わせばより深く記憶が流れ込んでくることなど知らずに、彼は私に口付ける。深く、深く。
殺された無残な姿のルイ、浮かび上がる契約者、白い仮面の男、BK201、黒の死神、殺したい 殺したい 殺したい 殺したい
ジャンの感情が入り込んでくる。それは契約者として当たり前の感情。ただ、殺したい。だって私たちは契約者だから。
ピチャン、と水の音がして現実に引き戻される。
部屋を出るジャンを見送って冷蔵庫にある缶コーヒーを飲んでいると、窓の外に赤い首輪に鈴をつけた猫が現れて窓を開けると私目掛けて飛び込んできた。抱きとめると猫は低い声で「で?何か分かったか?」とその姿に似つかわしくない声で猫は鳴く。可愛くない。ベッドに腰掛けて冷蔵庫からミルクを取り出して、餌付けの如く与える。私はその黒い毛並みを撫でながら、呟く。彼らの組織のこと、能力、対価、そして彼らの感情を。「うむ」と頷くと髭にミルクが付いた顔で「はもう少し奴等の動向を探ってくれ、ばれぬようにな」と威厳もなく言い残してさっさと窓から飛び降りていった。
そのまま一眠りしてジャンの声で目が覚めた。促されるまま彼の後に続くとソファに見慣れぬ女、基 篠田千晶がいた。まだ目が覚めぬ彼女を見下ろ、そのまま目の前に座る。ジャンは対価である石を並べていた。
「目覚めた?」
みるからに動揺している彼女に優しく問いかける。必死に逃げようとしている彼女を見て、笑みさえ浮かべてしまう私には人間らしい感情はないのかもしれない。ドアに電流が走り彼女は逃げた。黒だ。彼が助けたのだ。
  イ ラ イ ラ す る
あれはドールだ。篠田千晶は死んだ。そうとも知らずに助けて馬鹿みたい。
どうして私はここにいるんだろう、どうしてあの男と寝ているのだろう、どうして 生きているのだろう。





目が覚めた。私の体温で温まったシーツを身体に巻きつけてベッドから這い上がる。ジャンはもういない。篠田千晶を囮に黒たちを追っているはずだから。熱いシャワーを浴びよう。そしてコーヒーを飲まなくちゃ。
濡れた髪をタオルでふき取ってお湯を沸かしてコーヒーを淹れる。あぁ、不味い。テーブルの上でケータイが着信を知らせるために光っている。ディスプレイに浮かび上がる名前を見て朝から不機嫌になるのは仕方が無い。
「…もしもし」
この日初めて声を発したために少し掠れていた。
「今からお前も合流しろ、場所は───…」
現場に着くと既に事は終わっていた。私に気づいた猫が「ご苦労だったな」と足元に擦り寄ってきたので抱き上げた。私はこの黒い毛並みを撫でるのが好きなのだ。黒は私のことなど気にもせずに場を去る。黄にいつもの如く嫌味を言われてそれを聞き流しつつ、私は黒のことを目で追っていた。分かってる。彼の瞳に私が写らないことを。
今回の私の任務はフランス対外治安総局のメンバーに接触し情報を得る、というものだった。
私の能力は「相手の記憶を知る」こと。ただし、相手に身体の一部に触れ質問をしなければならない。よって死人には使えない。また私の質問を理解することの出来ない動物や廃人などにも使えないので、便利なのかそうではないのか迷うところだ。対価はコーヒーの摂取。摂取した量だけ記憶を探ることが出来る。
基本的に私は戦闘には参加しない。過去に巻き込まれた形だが戦闘に参加して死にかけてから、組織が私に戦闘を許可しないからだ。なぜならば私が大切ではなく私の能力は重要だからその能力を保護するため。
私の記憶の始まりには黒がいる。
なぜいつ契約者になったのか分からない、けれど目が覚めて最初に目にしたのは黒だった。黒が私の全てで世界なのに、私のことを見てくれない。込み上げてくる感情の意味すら分からずに。


ただ、愛しいだけなのに
む ね が し め つ け ら れ る 。 こ の か ん じ ょ う は つ み で す か ?